Tetsuo Ito's Diary

 

3月10日

 

とても美しい流砂の砂丘のキャンプを日の出直後に出発する。久々に天気は快晴でVTR化するのに絶好の日和。

昨夜の打ち合わせどうりに流砂の砂丘のキャンプを出発するキャラバンをVTRで撮る事に。

東から太陽の光がさす砂丘の向こうから、ラクダと一緒に歩く一行のキャラバンが砂丘を登ってくる。新雪の中を歩く様に、流砂の砂丘に歩いた足跡が残る。尾根に近い所では流砂の砂丘の崩れ落ちて行く砂が太陽の光を浴びてキラキラ光る。

キャラバンの一行の影が朝日の中で長い影になり、光と影のコントラストがすごく美しい。流砂の砂丘の風紋も影とあいまって微妙に変化する。

VTRのファインダ−を介しても美しいのだ。と言うのはVTRのファインダ−から見る画像はモノクロ。撮り終わって砂丘を見た僕はあまりの美しさにしばしの間絶句するほど。どうして自然はこんなに偉大で美しいのだ。

今日の画像はきっと日本人のイメ−ジする砂漠で、このVTRを見た人が感動する事は請け合いだ。

歩き始めて少しですごく暑くなってきた。昨日がかなり気温が低かったので、下着を一枚増やして失敗だった。暑くても脱ぐ物が無い。30度以上有るのでは。

午前中は今日も歩いた。15Kmだった。3時間。

平坦な地形を33Kmも歩く事になった。9時間30分も歩いた。僕は6時間30分もラクダの上。それでも水の消費は一本以上。歩いている人はさぞかし大変だと思う。水の量は歩く人もラクダの上の人も同じだから。

キャンプは平坦なところで。夕日の美しさが抜群だった。

皆も水が無いのですこし気持ちがきしむ感じ。明日は水が出る様に、少し東よりにコ−スを変えて寄り道の予定。総隊長は必ず水が出るというけどもし水が出なかったらどうするのだろう。危険な賭けをするよりは絶対に水のあるオアシスの米蘭への直行が良いと思うが。

明日は米蘭の手前にあるという烽火台の近くに行くために、米蘭への到着は3日後になる。過去に烽火台の近くで水が出たそうだ。とにもかくにも大自然を相手にしているのだからどんな事が起こっても不思議ではない。

米蘭に着いたらコ−ラを一杯飲んで果物を沢山食べてみたい。今日も数えて3泊で此の冒険旅行も終着点に着く。米蘭からチャリクリクの間は全員一致でトラックに乗る事に変更する。歩くことに飽きた。

今日まで一度もラクダに乗らずに歩き通しているメンバ−がいる。総隊長、田中隊長、奥山、藤原、植月、の男性陣と女性の下平、森川の7名は全行程歩き通している。500ccの水だけでここまでやれるのは素晴らしい。都会の歩き易い道を歩くのではない。歩き難さはすごい凹凸はあるし言語では表現できない。

奥山さんと藤原さんの二人に約束をする。完走出来たらオアシスで飲みたいだけのミネラルを飲もうと。彼らは必ず可能だ。

僕は感じた、決意と覚悟が最も大切だと言う事を。何をするにもその二つが大事なのだ。

あのヒルティ−が“眠れぬ夜のために”の中で書いているのが真実なのだ。

沢山の人たちのお陰でここまで来る事が出来ました。皆さん本当にありがとう。今回の旅ほど考えさせられる事は無かった。大事な事は何なのか、苦しい時はどうすれば良いのか。

日本の皆さんお元気ですか、僕は肉体的にも精神的にも少し病気です。疲れて水が欲しい病です。

なんとかこの冒険旅行が無事に終わりに為りますように。と祈りながら夢の中に入り込む。

装備が良いせいか一度も寒さを感じた事も無く、毎日温かく眠ることが出来ている。

皆さんモンベルのダウンハガ−は最高ですよ。

僕はアウトドアが未経験だったので装備からウエア−など全てを新調した。何を買ったら好いのか全然解らないので、ブランド嗜好で選択することにする。タラスブルバとモンベルの2ブランドから全てを選んだ。隊員もタラスブルバ派とモンベル派がいてややモンベル派が多い。

 

 

 
3月11日

 

 

 

 

昨夜は夢の中で川を見た。砂漠の中を水が音をたてて流れていて、川の半分は凍っていた。僕は氷をナイフで削って食べていた。でもこれは夢。水が無いので人は潜在意識の中でこの様な夢をみるのだろう。

今朝は気温−6度で天気は快晴。夜明け前の明けの明星はキラキラして美しい。なにか明けの明星はすごく近くに輝いてみえる。

地形は周り全部が見渡す限りの地平線まで砂漠。

何時ものように出発して歩いて歩いて午前中で完全にバテタ。昼からはラクダさんのご厄介になる。それでも水は一本以上使ってしまった。日中の最高気温は42度。なんて暑いのだ。ただ風がさわやかでとても42度なんて感じ無い。

地平線には蜃気楼がでて、遠くに森の様な物が浮かぶ。きっと視界の向こうには森が有るのだろう。1、2時間歩くと森がやっぱり見えて来た。森と言うよりは少し高い木の集まり。

少しずつラクダ草が生える地形になった。地形も丘状にアップダウンがおおくなる。流砂がすこし無くなって土漠が多くなる。

夕方ころに突然、砂漠に川が流れていた。昨日みた夢と同じ川だ。砂漠に流れる川は凍っていなかった。そこを除けば夢と同じ。但し川の水を飲んでみたら塩分が多くて飲めたものではない。塩分だけでなく濁っている。とても人間は飲めない。ただラクダは水を知ってか興奮している。

川の中を覗き込むとボウフラが沢山いる。手を入れるとサ−と散るのでボウフラを避けてその水を飲んだ。すこし塩辛いが飲める。

川の少し南にキャンプをはる事になる。川の近くは塩の析出で裸足で歩くと足を切りそう。アユップとウマ−ルさんはラクダに飲ませる為にその塩分の多い水を汲んでいる。少し位塩分が多くてもラクダさんは5日以上も水を飲んでいないので喜んで飲む。

これで一安心。我々の炊事用の水も補給出来たので。

亀甲型に盛り上がる地形を足で踏み均して我々のキャンプ地にする。直径30センチの亀甲型で縁の方が捲れあがる様になっていて、縁の方もかなり固くてなかなか平坦にならない。

今日は水を探す為にすこしジグザグに歩いた。距離は33Km。米蘭まで42.5Kmになった。

きれいな太陽が沈むのを感動しながら見て、すぐに東の空に月が出た。もうすぐ満月なんだと思いながら夕食の時間に。

食料班からGOODニュ−スだ。二日分の水の配給があった。余分にもらった様な気になるがこれからの二日分。でも持参しているものと合わせて2.5本になった。皆バンザイと叫び大喜び。僕も沢山いただいた気がして、思わず半分を飲んでしまった。

全員に配った後でミネラルが2本余る。また全員がウキウキする。余った2本をジャンケンで取ることに。最後まで同じテントの鬼頭さんが勝ち進む。僕がもらえる訳でもないのに“”鬼頭さんがんばれ!“”応援の結果でもないが鬼頭さんが勝つ。

喜んだのもつかの間で未だもらっていない人が現れて元の木阿弥。

同じテントの隊長が気の毒がって、隊長のおごりで4人でティ−パ−ティ−になる。隊長夫妻は合計でミネラルが8本あるとの事。まったく“スゴイ”。僕は最後のチョコレ−トで隊長夫妻のミネラルと交換をお願いする。“OK!”との事。やった!!。

また合計で3本になったので、又半分を一気に飲んでしまった。この後にどんなに悲惨な事が起こる事とも知らずに。

今日の野営を数えてあと二日。いよいよ米蘭だ。遅くても13日の夕方には米蘭だ。

水が沢山飲めて本当に今日は嬉しかった。水を一口飲んでおやすみ。

 

 

 
3月12日

 

 

 

 

 

 

 

今日は富士山の麓の鬼押し出しの様な地形の所を歩く。まるで腎臓結石のリハビリをしている様。亀甲型の縁が大きく捲くれあがり、まるで大きなお椀(直径1.5m)が並んでいる様な地形。お椀の端に乗り次はお椀の底に降りる為に上下動がひどい。そんな地形を15Kmも歩くと足はガクガクして腰は痛くておまけに背中まで痛くなる。

僕の持病の腎臓結石もこれでかなり下に落ちて良くなったりして。だんだんとそのお椀が潰れて地形は益々ひどくなる。昼食まではこんな地形をスポ−ツしているつもりで歩く事になった。“過保護ジジイ”には辛かった。

進行方向の左手には少し小高い丘の様な地形が見える。我々の進む方向は相変わらずの地形が延々と続く。

昼食のナンを噛り最後の緑の干しぶどうを食べて、小高い休息地を後にする。すぐにまた川が現れる。少し飲むがやはり塩辛い。もう少し行くと先ほどよりさらに大きい川がまた現れる。水面まで落差が少しあり、このままではラクダは渡れない。

ここでも僕は水を手ですくって飲んだ。塩分が薄く飲み易い。

ラクダさんは用心深い性格で少しのぬかるみでも渡らない。足がぬかるみに取られるのが嫌い。出来る限りラクダさんが怖がらない地形を選んで川を渡る。川の向こうは葦が一杯生えている。大変な事になるとはつゆ知らずにそのまま南下する。

総隊長はどうしたのかドンドンと東の方へ進路を外れる。イスラエル達がその後を追う形でついていってしまった。

我々ウマ−ルさんとニアズさんはそのまま南下する。突然ニアズさんがラクダの上の僕に降りろと言う。足元を見ればそこは塩の析出のために大きな岩の固まりのよう。先の方はもっとひどくてとてもラクダは歩けない。ラクダの上から飛び降りると10センチも足が埋まる程ひどい。よくよく見ると塩の海だ。塩の海を避けて西に進路を変更する。

イスラエル達はもっとひどい。ラクダさんの数頭が動けなくなっている。急遽元気な奥山さんとアユップさんが救出に向かう。1時間ほどで数頭のラクダさんは救出に成功して我々と合流する。少し西に進み又進路を南にかえて進む。

葦の原が現れてもそのまま進むが、かなり問題であった。ショ−トカットがいけなかった。諺のとうりだった。“”急がば回れ“”

あまりにも大回りになると距離を損する事になるので、真っ直ぐに葦の原を進んだのがいけなかった。葦の高さは最初は1mくらいが、だんだんと大きくなり3m近い高さになってしまった。総隊長と隊長が先頭に立って雪のラッセルと同じく進むが3mもの葦の原のラッセルは不可能になり、逆戻りする事になる。

大事件が起きたのはそのすぐ後だった。

葦の原をユ−タ−ンをしてラクダ草と葦が混じった所だった。下は塩が析出して見た目には地盤が固く見えた。急にラクダさんが嫌がったのに無理に進もうとしたら、底無し沼が牙をむき出した。体重のあるラクダさんはズブズブと底無し沼に埋まってしまった。あのラクダの長い脚が胴体を残してまったく埋まってしまった。

そんなに埋まらなかったラクダを救出して、すぐに別の場所へ移動する。移動するのもすごく大変。移動中に底無し沼に埋まらないように、細心の注意をして避難する。あまりにも沢山のラクダが立ち往生してしまったので、一頭ずつ順に避難する事にする。

避難中に底無し沼に襲われるラクダや、待機中に埋まるラクダに全員がパニック状態になる。避難中のラクダを先導する人や、避難先でのラクダのお守りをする人、待機中のラクダのロ−プをもつ人等で隊員も分散してしまった。

結局は数時間かかって救出したが、最後に二頭のラクダが取り残される。

あたりは少しずつ夕闇に包まれて気温も下がり始めた。あと救出を待つラクダは二頭だけになった。

ラクダさんは覚悟が決まったのかピクリとも動かない。無駄な事だと諦めているみたい。我々は何も出来ない。出来る事はラクダの荷物は当然として、鞍もはずして辺りの草をむしってきて与えてもラクダさんはそれも食べない。気温は下がってくるし我々は何も出来ないし、全員が途方に暮れる。

ラクダ使いのニアズが戻って来たが我々に何も指示をしない。ボ−として放心状態。掛ける言葉も無く我々も皆涙ぐむだけ。数十分も無言で空しさが辺りに漂う。誰もがラクダさんを見殺しにするのでは、と不安が頭をよぎる。今では仲間のラクダさんを見捨てるなんて、とても出来ない。なんとか救出出来ないのかと思いあぐむ。

絶望的な雰囲気が辺りに漂い、皆が悲しみにくれていた。

その時アユップさんと奥山さんが駆けつけて来た。アユップさんが来て状況が変わる。早速ナンの袋からナンを取り出して、袋をラクダの横に敷く。ラクダの泥に埋まっている脚を奥山さんが肩まで泥の中に手を入れてかき出す。ラクダの脚を引っ張り出して敷いてある袋の上に置く。前足の後は後ろ足を同じように引っ張りあげる。

反対側に回りラクダさんの体を敷物の方に押す。続いてキャンバス地の布を敷き同じ様に脚を掘り出す。ラクダも脚元が敷物で埋まらないと解るとすぐに立ち上がり、救出に成功する。周りの全員が大喜びで、一瞬にして皆の顔に笑顔が戻る。

同じようにもう一頭のラクダを救出した時には辺りは夕暮れになっていた。ラクダの荷物を全員で運ぶ。やっと救出し終わった頃にイスラエルがやってきた。力の無い女性が重い荷物を運んでいるのに、彼は自分自身は軽い荷を運ぼうとする。なんて奴だ。

僕は自分が何も出来なかった事を恥じて、二本の重い棒で出来ている鞍を運ぶ。イエス キリストが十字架を背負った様な気持ちで、鞍を十字架のように背負ってぬかるみの底無し沼をトボトボと歩く。罪と恥じを共に背負って歩く。

底無し沼の西500mがキャンプ地になる。ウマ−ルさんは疲れて死んでいる。寒そうなので毛布を持って来て掛けてあげる。ニアズさんは自分のラクダがアユップさんや奥山さんのお陰で助かり大喜び。我々も最後のラクダ(ニアズのラクダ)が助かったのでおおはしゃぎ。疲れもどこかへ吹っ飛んで皆元気。

今回の事件は僕に大きな教訓を残した。状況判断のまずさが事態をさらに悪化させた。“急がば回れ”トップの判断は常に慎重にかつ専門家の意見にも耳を傾けて、決断し行動すべし。

結果として冒険旅行に支障は無く、今後も同じように旅が続けられる事に感謝すべきか。東に葦の原があり、北、西、南は亀甲状の土漠が広がり、かなり平坦な場所でのキャンプになる。

今日は川を何度も横切った。川は東から西に流れている。東南の方向に小高い山々が見えるからか。砂漠の川は周辺から内側に流れ込む。我々の現在地が砂漠の東南にいる事が理解できる。

川は必ず塩分を沢山含んでいる。長い年月が塩分を蓄積させたのだろう。ボウフラも沢山いたのでもうすぐ蚊が沢山ふ化して、恐ろしい地帯になる。余分な心配だけれど蚊は何を食べるのだろう。夏になると動物達も沢山生息するのだろう。

でも砂漠で葦の原を見つけたら要注意。底無し沼が待ち構えている。今回の我々も水欲しさの行動が大事件に繋がってしまった。

この様な冒険旅行で一番大切な事は、歩く事でも食事の事でもなく、水、水が全てで水さえあればかなり楽しい旅になる。

毎日25Km〜30Km歩くことより水の制約がつらくて厳しい。特に日本での生活の中で水分を沢山取ることに慣れている人は、歩くトレ−ニングより水分を取らないトレ−ニングが大切だ。我々の一行は500ccの水が全てで、朝の歯磨きから翌朝までの飲み水まで。あの旅行作家の椎名 誠は同じ楼蘭へ自動車で行って2000ccの水と缶ビ−ル一本が一日分。なんて大名旅行なんだ。

僕も2000ccの水があればこの砂漠の冒険旅行も屁のカッパなのにと、訳の解らない事を考えて歩いていた。

結局のところ色々の事があって今日は18Kmしか前進出来なかった。でもラクダさんも救出できたし後になれば、楽しい想い出になるだろう。

日頃のきれいな水が豊富な日本での生活とはかけ離れた砂漠での生活は想像を絶するものがある。

中国と言えば皆さんトイレの心配をするが、砂漠でのトイレについて一言。

砂漠でのトイレは地形に大きく左右される。丘などが多い所は最高に快適に用を足す事ができる。地盤は砂地が多いから穴を掘るのも簡単だし後に戻すのも手間が掛からない。殆どのキャンプは小山の近い方が女性用になる。

平坦な地盤の固い所が最悪になる。穴は掘り難いし、身を隠す場所が無い。今日のキャンプ地がまさにそう。女性は夜になって辺りが暗くなるまで待っている。暗くなるまで待つと言う事は日中は水分を出来る限り取らないこと。当然のことながら水の消費は少ない。

我々男性は駄目。暑くなれば水は飲む、オシッコは何所でも出来るしと言う事で、悪循環になる。ただ今日の様な地盤はいけない。下が固いので工夫がいる。亀甲状の割れ目を狙ってしないと、おつりが多くなりズボンを濡らすことになる。

風が強い時はさらなる工夫が必要になる。風下に向かって少し高めの場所を選ばなくてはならない。

大きい方はあまり工夫はいらない。朝か夕方の少し暗い頃を選べばよい。明けの明星を見ながらするのも良し、沈み行く太陽を感動しながらするのもいい。選んだ場所で少し穴を掘り、そこをめがけてする。辺りの空気はいいし、きれいな景色を見てするのは最高に幸せな気分になる。後は砂をかけて終わり。

我々水不足病に悩まされている人は、便秘ぎみになる。水分不足のせいかも。数日もすると羊と同じ様なコロコロのやつがでる。便秘ぎみのほうが良いかも知れない、数日に一回すればよいから。

平坦で地盤が固い所はそのままほっておけばよい。場所の選択の際にその人の跡さえ見極めて終わり。下手に細工をしない方いい。使用済みの紙も風下に飛んでゆくのでOK!

風上で用を足す奴がいない事を確認するぐらいは、カッチリしないと他人の使用済みが飛んでくる。

と言うわけで砂漠のトイレはさほど心配はいらない。何所の国のトイレより美しく、においも無く快適なトイレが待っている。

尾篭な話のついでに靴下の話。ほとんどの人が毎日靴下を履き替える訳では無い。個人差はあっても靴下は臭くなる。水が無いので洗濯をするわけでない。キャンプについてその靴下をテントに吊るして干すのが精一杯。履き替えたとしてもその靴下を何時か履くことになる。

なかには靴下のにおいが気になって、デオドラントを持参したバカな奴もいる。ここは日本ではない。そんなバカは砂漠にくるな!

そのバカはこの“過保護ジジイ”の僕なのだが。

そんな事情なのでテントの中は靴下の蒸れたにおいで充満する。不思議なのだがそのにおいが無いと不安になるほど懐かしくなる。滋賀県の名産のフナ寿司のにおいと似ているのでそんな状態を皆が“フナ寿司状態”と呼ぶ。

後半になればなるほどテントの中は“フナ寿司状態”の毎日が続き、その話題が皆との会話になる。

そんな調子で今日のテントの話題作りになっている。今は大人の集団のテントなので靴下の臭さも無く、礼儀正しく寝袋のなか。今日も田中隊長夫妻と鬼頭さんの四人のテントはキチンと整理されて快適な場所。田中りかさんがカルシュウムのお菓子をくれるし、鬼頭さんは梅干しをくれる。靜かで落ち着いた雰囲気での最後のキャンプになりそう。

今日の砂漠の底無し沼での事件の時にすごく感心した事が有る。ナンの入った袋が欲しくてナンを底無し沼に捨てた時、あのアユップが我々に言ったこと。彼はあの皆が動転していた時にナンを捨てるのは構わないが“”踏まないで、これはウマ−ルさんの奥さんが我々の為に丹精込めて焼いて呉れた物。奥さんの気持ちを踏む事になる。“”と言ったのだ。自分は底無し沼にナンを捨てて少しでも足場が固くなるようにとナンを踏んでいて、アユップに注意されるまで気が付かなかった。

大人の自分がその事に気が回らず悪い事をした。他人の気持ちの汲めない自分自身が恥ずかしかった。最低!!!と自分に言い聞かせた。

いよいよ明日は米蘭に到着の予定になった。今日で最後のキャンプだと思うとなぜか少し淋しい感じがする。僕がここまで来れた事を皆さんに感謝したい。

明日は8時30分に出発の予定。夜明け前で日の出を見ながらのキャラバンになる。砂漠の冒険旅行も明日が最後だと思いながら眠ることに。

それにしても今日は色々な事が起こった。終わってみれば想い出深い事件だが、その最中でも冷静で的確に事態を判断する事が大切な事だと思った。

人間関係はほんの少しの思いやりが温かい気持ちにさせる。小さな気配りが生活には潤滑油として大事なことだと感じた。