Tetsuo Ito's Diary
3月 7日
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三五夜中の新月の色
二千里の外の故人の心 白 今日はPM1:00より楼蘭故城の見学をする。縦横2、300mくらいの広さでヤルダンの中にある。20年前からイメ−ジしていた楼蘭故城と現実とはまったく違っていた。正確には楼蘭故城はヤルダン地形の中にあり通常のヤルダンとの区別はある程度の知識が無いと難しい。人工的に造られたものと自然のヤルダンの差は人工的かどうかを区別すれば良いのだが。 写真等で見た三間房より本物はずっと大きいし住居跡はむしろ小さい。大仏塔はヘディンが世に紹介したものと同じくらいの大きさ。 入場の前に諸々の注意事項の説明がありカメラ等の持ち込みは禁止された。僕はカメラを持って来なかったので何とも無いが皆はすごく残念そう。だだこの旅で初めて記録係りとして活躍する事になる。 僕と鬼頭さんの二人はVTRを回すことに忙しい。旅の集大成の気持ちで遺跡を色々撮ることにする。 勿論世界的にも人類の為にも遺跡を大切にする事は常識なのだが、カメラはあまり関係ないようにおもう。何を壊すわけでもあるまいし。 楼蘭の簡単な説明と歴史の話のあと全員一緒に入場した。ヤルダンを数個越えてまずは住居跡へ、なにか1700年前迄は人が住んでいたと言う実感がない。風や砂に壊された柱や壁が無機質的に朽ちて転がっている。車輪の様な土台部分がすごく人工的に見えてかすかに人間を意識させる。 数十m北側に離れた三間房はまったく人工的で素人の僕でも遺跡らしさが満喫できる。高さはかなり高くて下の方から 眺めるようにしか見えない。三間房の下がその辺りで一番低いせいもあって、下から見上げる様に見るが、でもきっと建物の大きさは高さが3m以上はあるし幅は6m以上はある。 三間房の北100m程の所に大仏塔がある。辺りを見渡すと遺跡ばかりで楼蘭故城の中にいるのだという実感が沸いてきた。楼蘭なんだ!!!! 大仏塔はきっと昔は荘厳な感じだったのだろう、威厳を感じる。総隊長は興奮気味で皆に説明をする。VTRを回すのに忙しくて、僕自身は感動している間も無い。ここで数珠を総隊長にお貸しすると大仏塔を南西北東の順に周りながらうやうやしくお参りする。総隊長にとっては楼蘭は神に等しい。 僕はVTRで全てを撮ると僕の友人や家族や仲間の人々のために無病息災を祈願してお参りする。同じ様に南西北東と拝んだ。 ボ−としていると大仏塔をまわりから撮る様にとせかされて、細かい砂の積もる大仏塔の下から南西北東の順に大仏塔を撮る。 大仏塔は下から眺めるとかなり大きくて高さも50m以上はある。まわりを一周するとその荘厳さや威厳で昔の面影が想い出される。 やっと撮り終わり僕は大仏塔の東の下で、腰を降ろして一休み。さわやかな風が吹いている。やっと来る事が出来たという感動がじわりと伝わる。安堵感も。 今回の旅はあの橘 瑞超の跡を辿る旅。玄奘三蔵も立ち寄った楼蘭。 同じ場所にたたずみ、ふと感じたのは楼蘭は、こんな泥の中、砂の中にあるとは想像外の場所にあった。同じ場所に立って同じ大仏塔を見た事に価値が有るのだ 風のさわやかに吹く大仏塔の下でとにかく靜かに過ごせた事が幸せ。昨日のヤルダン越えの厳しさとはうって変わっての静かな一日。 あっと思う程に3時間が過ぎてキャンプに戻る事に。静かな感動を胸に楼蘭故城を後にする。大仏塔を振り返りながら、想いを残して故城を去る。 そういえば今朝(日の出前)上弦の月の光の中での楼蘭は感慨深いものがあった。誰もいない月光に浮かぶ大仏塔を見て、待望の和漢朗詠集をライトのもとで読む。白楽天の詩が胸に染みる。 明日以降の予定を聞いたら、楼蘭故城だけでなく明日は李白文書(橘 瑞超の発見した)のあったLK(海頭)に行くと思っていたら行かないとのこと。せっかく橘 瑞超の跡を辿る旅なのに、彼の想い出の場所に行かないとは残念でならない。LKはここから60Kmくらい南東にある。ロプノ−ル湖に突き出ていてこの名前になった。 結果的に今日は記録班として楼蘭をいっぱいVTRに収める事に。住居跡、三間房、大仏塔、それから東門を見て城壁の一部をみる。東門の近くの真下にタリム川の支流が流れていたらしく、その川の水が楼蘭の生活用水として利用されていたらしい。今は何故この都市が廃虚になったのか不思議に想う。自然の営みの大きさで楼蘭が衰退したのは間違いないが、僕は人間の業の強さ、強欲さが都市の衰退に繋がったような気がする。 勿論地学上はタリム川の流れが永年の上流からの土砂の堆積によって南に変わった為なのだけれど。理由はなんであれ、数千年前までの栄華の街がこの廃虚。 人類の将来を考えると今の東京、北京も数千年後には同じ運命か?。人間の営みの小ささと自然の大きさ、大都市の喧燥とここ楼蘭の無。すべての無がここにはあってまったく自然そのもの。うるさいのはテントで“ウノ”をする俗人の我々。 大昔この楼蘭も喧燥の中にあったのだろうと想う。テントの中の喧燥のように。 ただ外はまったくの静寂で上弦の月が静かに浮かんでいる。僕はその静寂の中に身を置いて自分の過去の人生を振り返る。 自分は何をしたいのか?どう生きることなのか? 結局なにも探せない。これが人生なんだ。 |
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3月 8日
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あこがれの楼蘭をいよいよ出発する。何度も振り返って大仏塔を見る。きっと二度とこの目では見られないと想いながら、ヤルダンを南へ南へ進む。南西方向へのヤルダンのため、たまに左側にずれて進む。北側と比べるとヤルダンが低いのでまだかなり楽に歩ける。楼蘭に近いほどヤルダンが高く大きい。10Kmほど離れると2、5mくらいの高さで20Km南下するとヤルダンの間はきれいな流砂になる。風紋が美しい。 楼蘭から10Km〜20Kmは大昔には大森林だった様子。立ち枯れている林を見ると昔の森が想像出来る。かなりの密度で木が生えていて、きっと沢山の動物が駆け回り色々な草花が咲き乱れて賑やかな森だったのだろう。 大森林の外周りはブッシュの跡がすごい。昔はかなりの小動物が生活していたに違いない。きっと先日出会ったウサギさんの先祖が沢山いた。満月の夜はウサギさん達のデ−トで楽しそう。 夕方の5時頃はちょっとした砂嵐になった。本格的なものではなく、少し強い風のために細かい砂が舞い上がり我々の後ろから背中に当たる。前からの風だったらすごく大変だろうが、たまたま後ろからで良かった。 少し視界が悪くなる程度で周りの地面から湯気が出ているように見える。砂が舞い上がるのがまるでお風呂の湯のように湯気で一杯。 枯れ木の沢山ある所を過ぎてから割と大きな窪みの場所でキャンプ。周りは流砂の砂丘でトイレの為の上り下りが大変辛い。足を踏み出すとすぐに崩れてなかなか登れない。気温はかなり低い。 イスラエルがキャンプに着くやいなや共同装備の中のミネラルウォ−タ−を田中りかさんが止めるのを振り切ってゴクゴクと飲み干す。バカな行為をするやつだ。隊員の目が点になる。 最近は皆さんが水不足でイライラする状態が多かっただけに、イスラエルの行為には非難轟々。僕も同じように飲みたかった。 アフマットの親子の協調性が無いのは我慢出来ても、今日の長男イスラエルの行為はやはりひんしゅくもの。皆はあきれて声もでない。親もおかしいが子供もイカレテいる。ヤコブは親の目を盗んでタバコを。親も子供のいない所で内緒にタバコ。 ラクダさんには棒で殴る性格なのに、こどもには甘やかし過ぎ。イカレタ親子。 すこし白けた雰囲気でのキャンプになってしまった。ここもまったく色が無く灰色の土ばかりで風までが灰色のような気がする。 僕も水が不足していてチョコレ−ト一枚とミネラル一本と交換してもらった。砂漠では幾らお金があっても関係ない。原始的な取り引きが成立するのみ。 |
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3月 9日
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今日の夜中にセクハラ事件が勃発する。当事者は“過保護ジジイ”の僕。夜中の2時頃に戸口さんが突然“ア〜”と大きな声をあげる。隣に寝ていた僕は飛び起きる。夢を見て戸口さんに抱きついたのではと思って。勿論抱きついてはいないかった。 藤原さんも起き上がって“”朝なの?“”なんて言っている。当の戸口さんはグッスリ寝たまま。一部始終を起きて見ていた鬼頭さんがセクハラだと大騒ぎ。“過保護ジジイ”の僕は言い訳だらけ。隣の戸口さんはグ−グ−。 藤原さんと鬼頭さんと僕の三人はその件で大笑い。 でも目を覚ました時僕の目の前に森川さんの顔があって、僕と森川さんの間に戸口さんが二人に挟まれて寝ていた。2人分のスペ−スのなかにピッタリと三人がくっ付き会って寝ていた。くっ付いていると温かいからそのまま寝ていたのだろう。状況は僕に不利だった。 こんなに大騒ぎな事になるのなら、本当に抱きついていれば良かった。などと思いながらまた眠ることに。 鬼頭さんは毎日夜遅くまで起きている。日頃の生活が夜型らしい。同じテントで過ごすことが多いので、僕が夜中にトイレに行く時も何時も起きている。夜中に日記でも付けているのだろう。 このところ2、3日はうす曇りの天気で朝の気温も低い。テントの中で飲みかけのミネラルが氷結するぐらい。現在の気温は4度でもう少し温度が下がれば雪。氷雨が降っている。砂漠の氷雨は初めてで不思議な感じがする。勿論今までに雪の積もる所を通過してきたのだから雨も氷雨も不自然ではない。 僅かな水分で潤う生物もいるのだろう。水不足の僕らにも恵みの雨になれば良かったのに少しの時間で止んでしまった。テント等をかたずけて出発する。昨日の件が尾を引いていてイスラエルには今日の氷雨のように皆の冷たい視線が多い。 ヤルダンと砂丘の地形でヤルダンの高さも低くて砂もそこそこのなので歩くうえではあまり支障にならない。 それにしても毎日毎日歩いて歩いて歩く。もうウンザリ。金輪際、絶対に砂漠に歩いて来るなどと言う無謀な旅はしないと心に決めて歩く。身につけている物は勿論のこと、すべてが砂だらけ。あまりに細かい砂なのでノ−トの間やありとあらゆる所に砂が入り込む。砂、砂、砂で一杯。 歩いている時に何を考えているかといえば、食べ物の事ばかり。最近は果物とコ−ラが欲しい。すいかもいいな。などと、たわいもない。早く砂漠を出て、すいかやうりなどの水分の多い物が良い。コ−ラを一杯飲んで果物を一杯食べてなどとバカな事ばかりを想像して歩く。 歩いている時に藤原さんが横に来て、何を考えていますかと聞くのでコ−ラの話をする。 砂漠を出たらコ−ラを飲みましょうなどと、たわいもない事を言いながら歩く。 僕だけでなく誰もが水を欲しがっている。今は全員の関心事は水の事。全員分でポリタンクに一本以下しか無い。今朝もス−プも無し。レトルト食品を温めた湯も元に戻して使わないといけない。 ラクダ24頭の飲み水と我々16人とラクダ使いさん6人の炊事用の水がポリタンに半分ほどしか無い。今日もいれて6日も砂漠の中の予定なのに。 砂漠での最重要事項は水。とにかく今は水が無い。川に出会う事が我々が安全に米蘭に着く条件になってしまった。 今日はラクダに乗っている間、水の事ばかり想い浮かぶ。旧約聖書のモ−ゼの話みたいに杖で岩を打つと水が出る、などと他愛も無い事が頭をよぎる。 水が出ないか、水が欲しい。水よこせ。水。 だんだんと流砂の砂丘が多くなり、緑色っぽい砂丘、赤っぽい砂丘、黄色っぽい砂丘、が現れて美しい。色々の色をした流砂の砂丘に囲まれた場所でキャンプに。 抜群の美しさでキャンプ1よりもカラフルな流砂の砂丘に囲まれてきれい。 あと100Kmくらいで米蘭へ着く。3日以上かかるので現在考慮中。真っ直ぐ米蘭へ行くか、途中で穴を掘って水を出すか。 隊長の意見は、穴を掘ると言っても掘る時間もかかり出ない場合の危険もあるので、無駄な時間を省いて少しでも前進する。ラクダ使いさんは穴を掘ってまず弱っているラクダに水を。 僕は水不足なので食事に使う予定の水も節約して(食事無しで)米蘭まで直行する事が良いと思う。 結果は明日のあさは7:30起床で9:30出発と決まる。 ラクダさんも5日以上も水を飲んでいない。ラクダは元気が無くなると食欲が落ちる。ウマ−ルさんも体調がよくないとの事。僕も水が欲しい病。 楼蘭はやはり人を寄せ付けない場所。自然の偉大さが楼蘭を守っている。歩いて楼蘭に入る事は無謀で危険が一杯なのだ。水が無いことも神の思し召し。 そんな楼蘭に自分自身が行けて今は本当に幸せだと思う。一生の大切な想い出。 色々感じながらシュラフの中へあっと言う間に白川夜船。 |