Tetsuo Ito's Diary
2月26日
|
今日は疲れ過ぎているので、少し簡単に。 まわりは丘だらけのところでキャンプ。テント村のすぐ近くに残雪が山肌に沢山残っている。ラクダもよく知っていて食べたいようす。我々人間の為の雪取りが優先で奥山さんやアユップさんががんばって雪をバケツやなにかで集めている。 僕は雪が食べたくてラクダより先に採ってたべる。腰につけているサ−モボトルに明日の為に雪を詰め込む。雪はすごく美味しかった。疲れた。おやすみ。 |
|
|
2月27日
|
今朝も何時ものようにレトルトのおかゆ(朝食はナンと一日おきに交互)を食べた。おかゆは水分が多いので水が不足気味の僕は大助かり。食事のあとは自分の荷物のパッキングをして、テントをかたづけて、自分のザック類をラクダに積んで、共同装備もラクダに積んで出発の準備が完了する。 歩いて歩いて、朝から昼迄14km。今日は丘の所々に動物の足跡がある。どうしてこんな所に動物が居るのだろう。一体なにを食べて居るのだろう。水も無いはずなのに。雪のある時だけ動物も遠出するのかも。 直径1mほどのラクダ草が点々とあり水分が殆ど無いので、ラクダ草は枯れた様にみえる。手折ってみるとやはり枯れているわけでは無い。高さは1mほどでほぼ真ん丸の形に近く、まっすぐ歩くのに邪魔なほど沢山生えている。 見渡す限り同じ光景でどうして地球上にこんな所があるのか、不思議でならない。遥か遠くの遠くのほうに丘ほどの山が見える。足場はボソボソと靴が沈み込む地形で、歩いていてもすごく疲れる。 勿論だが、今までの(足場)地形で歩き易いところは殆ど無い。今日の様な足場が一番歩き難い。表面は少し固くてボソッと靴が沈み込み、砂埃が舞い上がる。おまけにラクダ草が行く手を阻むことも多く、単調な行程になる。 今日も歩いていると車の轍があり、車で来れるのに歩いている我々が馬鹿らしくなる。僕達の一隊は誰もが“疲れた”とか言う愚痴や泣きはない。僕一人を除いて。なぜグウタラの“過保護ジジイ”の自分がこの旅を希望して、(希望するのは勝手だが)来てしまった事を今も後悔している。 今回の砂漠の冒険旅行は580kmを25日かけて歩くという壮大なもの。勿論日本の平坦な道でもなく、トレッキングで歩く道よりもっと劣悪なところを歩く。劣悪さが表現出来ないほどひどいところだ。道などあるはずが無い。どの方角であれそこは全て道なのだ。 僕は今日の体調が今までで一番良い。水も無い事に少し慣れてきた。きっと体が慣れてきたのだろう。でも水はもっとほしい。 あの椎名 誠が1988年にこの楼蘭に来ている。ランクル20台とトラック8台。総勢150名で。勿論正規のル−トでの手続きを踏んで。 彼らが秋に来た時には一日に一人当たり2000ccの水で。車で来て2000ccと我々は歩いて来て500cc。どれほど我々は水が少ないか理解してもらえるだろうか。 でも椎名 誠はその旅を冒険旅行と言う。 我々の旅は冒険旅行では無く、あえて“”危険旅行“”もっと水をくれ〜〜〜。 砂漠ではお金があっても水は買えない。商店がないから。なにを馬鹿な事をと言うかも知れないが、我々(人間)に必要な物はまずは水。 お金の無力さを本当に知った。 手ぶらで歩いている人は僕のみ、ザックを背負う事すら“重荷”なのだ。それでもこんなに大変なのに。 日本ではお金さえあれば何とかなるがこの砂漠ではまったくの無力。 どんどん歩いて雪もあってラクダ草が一杯ある所がC9のキャンプになった。少し小高い所で不思議とラクダ草がこの辺りだけ緑色をしている。水分が多いのだ。 ラクダを離して草や雪を食べさせている。少し寒いがキャンプ村のまわりにラクダが座り少し離れた周りに小高い山(丘)がある。緑色のラクダ草も高さ2mくらいで4、5mもの直径がある。小高いせいで残雪も丘の北斜面には沢山あり、キャンプ地としては最高の場所なのだろう。5、6kmほど北の我々が通過して来た高台と同じほどの標高でその辺りのみラクダ草が緑色。久々の緑になんとなく“ほっと”した気持ちになる。 尾篭で汚い話だけれど今にも沈まんとする太陽を見ながら、そんな環境の小山の蔭でする、トイレは小寒いのとさわやかさとが同居して最高。 熱や喉の痛みもひき、やっと人並みの元気さが戻ってきて、あと休養日さえあればもう万全になる。休みがほしい。まだ一度も休養日が無い。 |
|
|
2月28日
|
今日は最初の5kmのみ歩いて後は全てラクダの上。少し小高い丘のキャンプを撤収して歩き始める。小高い丘のあいだを縫う様にラクダ草が生えているところを歩く。少し小石が混ざる瓦礫の砂漠が多くなる。この様な砂漠を礫砂漠(ゴビ砂漠)という。今までの砂漠よりずっと歩き易い。ただ足元はゴロゴロしているので足を挫く危険が多い。 場所によってはその石がピンク色をしている。ピンクの石が多いと淡いピンクの砂漠になる。左側の砂漠は夢の様なピンクの砂漠が広がる。 右側は小高い丘が連なる地形で丘を登ったときに、鹿が数頭いた。僕はラクダの上だったので鹿かどうかは解らなかったが、先頭を歩いていた人はお尻が丸く白いのが見えたそうだ。数百m先の丘の上に5、6頭の鹿らしき動物がこちらを伺う様に見ている。 丘の稜線を登ったり降りたりして、ディズニ−映画に出てくるバンビの様にしぐさがかわいい。ぴょんぴょんと跳ねる様に駈けている。風上に逃げるのが彼らの常識なのか右より(南)の風だから右側の丘に逃げる。走り方がまったく鹿。 野生のラクダの親子もいたそうだ、僕は足跡を見た。ハ−ト形の足跡が並んで左の方に消えて行くのを。 どうしてこの辺りはこんなに動物が多いのだろう。素人考えだが、きっと食べられる草が多いのと近くに水(水分)があるのだろう。 すごく向こうに少し高い山がありその麓を目指して歩く。あまり遠いので多分10kmは十分ある。まわりはラクダ草が沢山生えている。 ラクダは非常にデリケ−トな動物だけれど、人の言う事はあまり聞かない。アフマットはただラクダを打つのみ、根気よくラクダに言い聞かせればいいのに。この親子のラクダ使いは少し頭が弱い。他人との協調性に欠けてかつ人間として少しレベルが低い。 ニアズやウマ−ルのラクダは先頭のラクダが聞き分けが良く、命令をすぐにきく。ラクダとラクダ使いは相関関係がある。ウマ−ルのラクダはウマ−ルに似て頭がいい。 アフマットのラクダは毎日のように、入れ替わりで血をみている。主人が太い棒でひどく殴るから。殴られているラクダを見ていると、他人事とは思えない。なにか自分自身が殴られているような気がして。 僕がもしもラクダ使いであればきっと棒などでは殴らない。犬に接すると同じようにやさしく諭す様につきあう。と言うのも僕のいつも乗るラクダは最初は乗ると嫌がるのが解るほどだったのに、最後のほうには自分から顔を近づけてくるくらい。人なつこい仕草がすごくかわいい。 ラクダは歩きながらでもウンチができるし、オシッコをする時は少し後ろ足を開くのですぐにわかる。ウンチはウズラの卵ほどの大きさでまとめてコロコロと沢山出る。オッシコはかなり黄色で尾っぽを上げてする。ウマ−ルのラクダの尾っぽには真っ赤なリボンが結んである。全員が赤いリボン。 何時も乗るラクダは40Kgのコ−ンの袋を両側に附けている。そこに僕(63Kg)が乗るのだから合計で150Kgになる。それでも愚痴をこぼすわけでもなく、とっても力持ちでやさしい。前足は僕の顔ぐらいの大きさで後ろ足より少し大きい。座らせて乗りこむとすぐさま立ち上がる。 おまけに後ろ足からすぐさま立ち上がると、前足もすぐに立つのでジェットコ−スタ−の下り坂から登り坂みたいになり、しっかり捕まっていないと振り落とされそうになる。 命令の言葉は“チョク”と言うと座れとなり、“チョ”と言うと立てと言う意味らしいが同じようでわかりにくいのは僕だけか?。 ウマ−ルさんのラクダは僕が“チョク”と命令するとすぐに座る。クリクリした目で僕を見る。かわいい。 今日のキャンプ地は西側と南側にかなり険しい高い山があり、周りには大きなラクダ草が沢山あって標高は1510mある。今まででの最高の標高のキャンプ地。 すぐに太陽が西に沈み始めて、クルクタ−グの山々の紫がっかた稜線がすごく美しい。まるで枕草子の春の段の、....春はあけぼの.....と同じ。夕方だけれど。 夜の星明かりと西の三日月が少し寒い感じがする。テントの中から南の空のオリオン座を従えた星空が美しい。オリオンの青白い光を見ておやすみ。 |