Tetsuo Ito's Diary

 

2月20日

 

 

 

 

 

 

 

天気は快晴。昨夜の熱も少しは良くなったような気がする。朝食を食べて出発の準備。駱駝を5頭ずつグル−プにして、担当を決めた。僕と藤原さんと森川(女性)さんの3名でアホメッドを手伝うことになる。この組み合わせが後になって....

ここで駱駝について、駱駝は馬よりは少し大きくて中国にいるのは二瘤ラクダ。映画のアラビアのロレンスにでてくるラクダは一瘤でいかにも速く走る感じで、背丈も少し高いが二瘤の僕らのは牛ぐらい。

ラクダは牛と同じ偶蹄類で食べたものを反芻する。食べ物は草食で旅行中はとうもろこし。途中で好物の草があれば立ち止まって食べたいタイプの動物。

目は小さいタマゴくらいで瞳孔は無い。ひずめは僕の顔ぐらいに大きく、後ろのひずめは前より小さい。耳は犬の耳ぐらいの大きさで、触られるのがすごく嫌い。性格はすごく臆病でおまけに人間の言う事はほとんどきかない。

我々3人も手伝ってラクダを座らせて荷物を積むのだが、まず1回では座らない。やっと座ったとしてもすぐに立とうとする。おまけに気に入らないと口から反芻中の食べ物を唾をはくように吐く。さらに噛み付いたりしようとする。吐いたものはすごく臭くて僕たちの着ているものはまるでラクダ状態。

1頭のラクダが100Kg〜150Kgもの荷物を積んで歩く。1頭のラクダで四苦八苦なのにまだ、4頭も残っていると思うともう“ウンザリ”。

5頭中の最後の1頭は体がすごく大きくて精悍なタイプで、勿論人間の言うなりにはならない。僕たちはこのラクダに“キング”とか“乱暴者”とあだ名をつけた。座らせるのにも一苦労して、やっと荷物を積むと暴れて荷物を落とす。ようやく5頭のラクダに全ての荷物を積み終わる頃には、他の20頭のキャラバンと仲間はもう1Kmも先に行ってしまっている。

各隊員ザック(20KgX16人=320Kg)+共同装備(66Kg)+日本からの持ち込み食糧(209Kg)+現地買い食糧(393Kg)+炊事用とラクダの飲み水(25gX20個=500Kg)+駱駝の餌(500Kg)+駱駝使いの食糧装備(250Kg)+その他(20Kg) 合計 2.3トン

各隊員のサブザックは3Kgx16人=48Kgは各自背中に背負って歩く。

駱駝は約100Kgの荷物を背負うことになる。5頭が一グル−プなので500Kgの荷物を朝夕積み下ろしをする事に。駱駝使いさんと三人の隊員の四人で毎日積み下ろし。今後、毎日こんなに梃子摺るようだったらどうしよう。

やっと気を取り直して歩き始めると、まわりはすごい流砂の砂漠。今日から歩き始めるのにいきなりの難しい流砂の砂漠。多少は納得していたものの、歩くのにはすごく大変なことを改めて思い知らされる。

おまけにすごく速く歩くのでさらに大変。やっぱり“ドベ”“ドベ”“ドベ”。練習のための湖東三山(滋賀県)を歩いた際と同じポジション。

でもまわりの景色は雄大でかつ美しい流砂の砂丘。夢のような体験で、今歩いているのが中国のタクラマカン砂漠だなんてとても思えない。まるでアラビアの月の砂漠か?

体調が良ければまさに最高の場面。但しまだ熱があり歩くだけでまったく精一杯。

今回の旅行で自分の選択がかなり怪しいと思うようになった。何故いまこんなに苦しいなかを歩かないといけないのか、自分自身の気持がまったくよく分からない。はっきりしていることは自分自身が選択したこと。どうして580kmもの長い道を歩く事を選んだのか分からない。

それほど自信家だったのだろうか?今は“過保護ジジイ”のまま。

やっと着いたキャンプ2もまわりの景色は抜群にきれいで言う事なし。GOODなロケ−ションでの一夜になりそう。

 

 

 

 
2月21日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も天気は快晴で、いつものごとくラクダに荷物を乗せて出発する。昨日とは少し違って今日は土漠を歩く。砂漠と言うと殆どの人は流砂の砂漠を頭に浮かべるとおもうが、実際の砂漠はもっと多様なんですよ。

たとえば流砂の砂漠は本当にさらさらの細かい砂でほとんどが海の波のように波打っていて高い丘は数百mもあり歩くと靴の中が砂だらけになる。

平らな場所はほとんど無い。小さい丘や大きい丘が重なり合っていて、見ているだけならすごくきれいで言う事なし。

勿論、湿気はほとんどないので靴の中はさらさらの砂だらけになるほど靴が砂に埋まって歩くのはすごく大変になる。昨日までは砂だらけであった。

今日は土漠。土漠というのは昔は湿地かなにかで、長い年月にそれが極度の乾燥で表面は塩分を多く含む為に固くなりその下の泥の部分は粉状に乾燥してパウダ−状になっている。そこを歩くと靴が10cmほど沈み込み中のパウダ−が舞い上がり、粉屋の倉庫の中を歩くみたいになる。

そんな所を16人の冒険隊員とラクダが25頭とラクダ使いと通訳の6人が歩くのだからもう大変なことになる。ラクダの足は僕の顔ぐらいだから、僕の足の倍くらい。だとすると25 X 2倍で50人分+16人+6人=72人 。

72人の両足が泥煙をあげて歩くのだからあたり一面が泥で煙った様になる。汗に混じって顔は泥まみれになり、その泥煙を吸うのだからまったくすごいことになる。そんな状態が朝から夕方まで続き、もうどっと疲れた。

少しでも楽に歩けるように葦の株の枯れた残骸を選んで歩くのだけれど、自分の歩幅に合わなくて足を挫きそうになる。何百年も昔の葦の枯れたものが残っているのもすごい。今はこんなに殺伐とした景観だけれども、昔は葦が生えて小鳥達の飛び交う緑の楽園だったのだろう。

まわりの景色は左手は例の素晴らしい流砂の砂丘、右手は少し丘のある土漠。我々はほぼ真南に進んで行く。

ほぼ正面(2km程先)になにかイスラムのモスクの様な建物を目印に泥煙のなかを黙々と進む。今日も南よりの風がさわやかに僕の顔にあたり、泥煙を避けながら“ヒイヒイ”歩いている。初日よりほぼ毎日南よりの風が吹いている。

2kmほど進むとやっぱりイスラムのモスクだった。かなり小さい村の小さいモスクでこんな砂漠の中にこんな村があるなんて驚いた。周りにはやはりポプラが植えてあり、まだ植えて日が浅いのかヒョロヒョロで弱々しい。

どういう訳か僕らは5〜600mぐらい東の丘の上で待機せよとのこと。ラクダとラクダ使いの人たちだけでラクダに水をやっている。想像外のこんな所に村があって我々(外国人)が南に進むのを村人に知られたくないのだとおもった。

かなり西のほうにはポプラの林がず−と続いていて、もっと村が点々と在るように思う。ここの村人だけでなく、全ての村の村人がきっと奇人変人のキャラバンの一隊を興味深く見張っているとおもう。だって住んでいる村人が生活することの難しさやキツサを一番良く知っているし、なんでこの時代にこんなひどい砂漠をラクダと歩くのか、不審な気持ちで我々を見ているにきまっている。

だって僕のまわりの仲間の人たちは、僕がなぜこの砂漠の徒歩の冒険旅行を選んで行く事にしたのか、誰一人として納得した人がいなかった。おまけに僕自身も砂漠がこんなにも過酷で歩くのに適していない地形や地盤だとは思いもしなかった。

ましてや砂漠に住む人びとからみれば、歩いて砂漠を旅する馬鹿な奴等だし変人奇人の集まりだと思うに決まっている。何をしに来たのか聞きたいし、または奇人を一目でも見たいのは世の常だと思う。

案の状だがキャンプ地を決めて、荷物を降ろしはじめたら近くの村人が、興味深そうにやってきた。ウイグル人だった。遠くの砂丘の上にも人がいる。きっとずっと前からどこへ行くのか砂丘の上で見守ってくれていたのだろう。

僕は今日も体調がすぐれずに夕食を食べてバタンキュ−。

 

 

 
2月22日

 

 

今朝も朝食はナンとス−プ。ほぼ一日おきでレトルトの朝粥とナンの繰り返し。

ナンというのは、ピザの具とチ−ズやソ−スをのけたもの。分かり易く言えばパンの固いもの。但しもっと中身がずっしりと重いパンの親戚。

このナンを砂漠旅行中は朝と昼の毎食、食べることに決まっている。大きさは直径20cmくらいで重さは300gくらい。

そのナンをウマ−ルさんの奥様が4、5日かけて焼いてくださった。なんと400枚。

最初のうちは柔らかいからまだ食べ易いが、今朝のナンはもうかなり固くなっていて少しかみ砕くのに苦労する。僕は1/4食べれば十分。

C3からC4への途中は小高い丘の繰り返し。足元はかなり歩き易い。左手には南北に開けた河らしきものがある。ワジのよう。

河らしきところを歩くとやはり道のよう。河であったところは両側に、塩の混じった土漠でそこは少し歩きにくい。

どうもクルクタ−の中腹に金鉱山らしきものがあるらしい。そこへの道路のように河がだんだん道になっていくのが判る。と言うのも大きなトラックの往来がはげしいし道幅(川幅)は道路らしくなるはず。

一度その道を避けて右手サイドの山へ入ったものの、やはり登り降りが激しくてもとの道へ戻ることに。我々は歩く事ができてもラクダ隊は険しい山は苦手。ワジみたいな所は以前にもましてトラックの往来が激しい。

やっぱりここは道路なんだと納得できた。

山の登り降りと比べれば、この道路らしきところは歩くのにはなんの苦労もいらない。にもかかわらず僕はばてた。

水が欲しくてしょうがないが、一日分の水は500ccのみ。歩けば暑くて水がいる。

今日ほど自分の体力の無いことを痛感した事もないし、この砂漠の冒険を選択したことを深く後悔した。

今日も体調が悪いのでよけいに消極的な考え方になる。

ワジ 道路と呼んだほうがいい。その道路の右手の道路から見えない所にキャンプを張る。かなり小高くて平坦な場所のないところ。でも23kmしか歩いていない。こんなペ−スでは予定よりかなり遅れてしまう。きっと隊員が慣れる迄のトレ−ニング期間かも知れない。僕にはきついが。