Tetsuo Ito's Diary

 

2月17日 今日は移動日。北京空港より新疆ウイグル自治区の街、魚魯木斉(ウルムチ)までのフライトは3時間30分程。機内はいつもの中国の国内線らしく早いもの勝ちで荷物を置くので、我々の様に後から搭乗するものの荷物は置くところはまったく無い。自分の座席の下に置くしかない。機内の人々はほとんどがウイグル人で外国人は我々のみ。

新疆への飛行機らしく機内サ−ビスはまずあの緑色の干しぶどうとピスタチオがでた。あの緑色と言うのは日本で通常に見かける干しぶどうはワイン色の濃いものだが、ぶどうで有名な吐魯番(トルファン)の干しぶどうは緑色が多い。

新疆ウイグル自治区は果物が豊富に採れる地域で特に、吐魯番(トルファン)のぶどう、庫爾勒(コルラ)のなし、阿圖什(アルシ)の無花果、哈密(ハミ)のハミウリ、喀什(カシュガル)の石榴、など砂漠のオアシスで採れる果物は強い太陽の光と豊かな天山の雪解け水のおかげで甘く、みずみずしくてすごく美味しい。

機内食はどこも同じで、中国はチキンがやや多い感じがする。

魚魯木斉(ウルムチ)はさらさらと雪の舞う空港だった。雪の滑走路に着陸した飛行機のタラップより降りた気持ちは、“遠い異国”。“長いトンネルを出ると雪国だった。”あの川端 康成の小説、“”伊豆の踊り子“”の様。

北京から最も遠いAIR PORT に着いた感じがしたのは自分の体調が絶不調のせいかも。機内では勿論あまり食べなかった。

荷物の検査にも無事に通過して、細雪のなかをマイクロバスでトルファンへ。途中で道路わきの食堂に立ち寄ってウイグルラ−メンを全員で注文する。麺から打って作るので少し時間が掛かったが皆美味しそうに食べる。ラ−メンと言うよりはうどんのほうが正確かも。僕はなにも食べない。

トルファンのホテル オアシスに到着したのは夜中の3:30分。そのまま部屋に入りバタンキュ−。

 

 

 

 

2月18日 10時に朝食をとる。ウイグル風の朝食だった。今日は総隊長夫妻と隊長夫妻と副隊長の戸口さんの5名はラクダ使いの頭領のウマ−ルさんを訪ねてルクチンの村へ、我々は全員揃ってマイクロバスでトルファン見学に出かけることに。訪ねたのはまず交河故城へ。河の三角州に造られた古城で2000年も前の国。

次に訪れた高昌故城はあの玄奘三蔵が630年頃、ときの王に長い逗留を依頼された国で16年後の帰国の際には滅びて無かった国。バックに火焔山を従えた高昌故城の景観は本当に素晴らしい。火焔山もあの孫悟空で一躍有名になったやま。文字のごとくの山で夕陽に輝く夏の火焔山は文筆に表し難い程に美しい。今日は砂煙のなかでぼんやりとしている。

最後はベゼクリク。敦煌の莫高窟の小型版で洞窟の壁面に彩色された仏教画がある仏教遺跡。新緑のベゼクリクがやっぱり最高か。季節はずれの観光客に係員もきっとビックリ。

アスタ−ナ古墳群やカレ−ズは見学せずに昼食にする。冬のトルファンはいまいち。やっぱり新緑のベゼクリク、真夏の火焔山がGOOD。

昼食はウイグルラ−メン。羊の肉とニラと唐辛子と何かのスパイスを炒めて、麺の上にかけて食べる。これがかなり美味しいのだ。

僕は店の前の露天商で果物を買う。梨とりんごとオレンジを各々1Kgずつで各5元、合計で15元。その場ですぐに食べたがやっぱりオアシスの果物は美味しい。今日も体調は今いちで、熱があって食欲も無い。

トルファンは何度来ても良いところだ、オアシスらしくて火焔山が雄大で。

夕食を食べるのも面倒な感じで、すぐにベッドに入り込む。

 

 

 

 

2月19日 今朝の朝食(8:30)はパス。バザ−ル(9:00)もパス。体調不十分だけれども最後の風呂なのでシャンプ−なんかをして、あとはず−と部屋で寝ていた。

ホテル オアシスは昔と同じでかなりひどい部屋。センスの悪い赤い絨毯に割とさわやかなベ−ジュのベッドカバ−。色の良くない緑のパンダの柄の毛布。おまけにル−ムキ−は無い。

なんかタイのホテルみたいに女性を連れ込まないように、各フロア−ごとに男女の係員がいて、いちいち部屋を開けにくる。キ−を渡すと問題が多いのかシステムの違いなのか。

部屋から小学校が見える。全員でラジオ体操みたいなのをやっている。僕は聞いた事が無い音楽が鳴って、皆は元気に飛び跳ねている。

12:00に昼食で13:00に出発して、この旅の最初の野営地に向かう予定。今日の野営地からが本当の旅の始まり。

時間どうりの出発で2時間ほどしてルクチンの郊外の南8Kmになる、記念すべき第1野営地に着く。もうそこは左手には広大で100m以上の高さもある流砂の砂丘の聳える場所。今までに、こんなに美しい流砂の砂丘は見たことも無いほど素晴らしい。

すごい流砂。敦煌の鳴砂山の流砂の砂丘なんて問題にならないほど素晴らしい。スケ−ルの違いに圧倒される。東西に10〜30Km以上で南北に100Km以上はきっとあると思う。こんな素敵なファ−ストキャンプだなんて、もう最高!!。

西に傾きかけた太陽の光を受けて輝く流砂が眩しくて、青い空とのコントラストがまたいい。何重にも重なって奥行きを見せる砂丘の偉大さと美しさに感動した。

すぐにテントを立てて野営の準備をするのだが、なんと言っても僕は今までにキャンプをしたことがない。“過保護ジジイ”の本領を発揮する。要は何もできない。仲間のメンバ−が手際良くテントを立てるのを見ているだけ。10分もしないうちに回りにテント村が出来上がる。

6人用テント(8人用)、4人用X2、3人用とラクダ使いさん用の4人用の5張りのテント。2張りの4人用の1つは炊事係り用のテントで3人の炊事係りが使用する。

テントの部屋割り(テント割り)は3日毎のロ−テ−ションで副隊長の役割。男女が半々の16人のパ−ティ−なので、男女混合のシンプルな部屋割り。運が良くて最初の夜から21才のリカちゃんと同じテント。若い女性と同じテントに寝るなんてことは経験がないので、53才の“過保護ジジイ”の僕も思わず.........。

夜が来るのが待ち遠しい。

西に太陽が傾いて空の青さがより美しさを増しはじめる頃に、待望の駱駝使いさんと25頭の駱駝がキャンプに合流した。頭領のウマ−ル(48才)、仲間のニアズ(52才)、二人はキャンプ1の北8Kmにある村(ルクチン)の人、アホメット(58才)、長男のイスラエル(38才)、次男のヤコブ(28才)の親子は北80Kmにあるピチャンの人。駱駝使いさん達は全員ウイグル人の為、通訳(ウイグル語〜日本語)のアユップ(21才でトルファンの人)も一緒に到着した。

周りが夜の帳に包まれる頃にキャンプで初めての夕食も、真近に見える満天の星空には、最高のシチュエ−ションのおかずみたいなもの。

楽しみにしていた夜のシュラフで眠る頃、どういう訳かすごく熱がある。あまり興奮していたので自分の体調の悪いのを忘れていたのだ。急に偏頭腺炎(いつもこの季節に)がひどいのに気が付いた。

若い女性と同じテントでウキウキどころではなく、すぐに寝るはめに。

シュラフに入ったら急に明日から歩く事が心配になってきた。今日は歩くことが無かったからいいものの、明日からのWalkが非常に心配だ。

こんな調子ではこの旅が完遂できるかどうか、かなりあやしくなってきた。途中でのリタイア−もありえる。

ひょっとしたらこの冒険旅行そのものの選択が過ちだったのかも。どんな選択がベストだったのか?ここまで来てしまったので、せめて仲間の皆さんに心配をかけないようにと祈って寝ることに。