8月21日見晴らし台
1999年、上から海を見下ろしながらビールが飲みたいと見晴し台を作りました。
この見晴し台は4本の柱で出来ている単純構造ですが、作る時は結構苦労しました。
なんせ1人での作業4本の柱を仮立てして寸法を取っていると後ろから思いっきり頭を殴られる、他の柱が倒れてきて頭に直撃なのです、それも何回も・・・・柱の位置が決まるまで珍しくヘルメットをかぶって作業した覚えが有ります。
見晴し台の上には4人程度しか上がれませんが、最近ではゲストのお気に入りの場所になっており、皆さんよくこの上で話したり、ビールを飲んだりしています。
見晴らし台を作る時、下のスペースがもったいないので物置きも同時に造りました、かなり密閉性を良くしたつもりなのですが、中の金具類(スコップや工具、自転車など)が錆さびになってしまうのです。
「snap・on」泣く子も黙る有名な工具です。何種類か持っていたのですが、この中で錆さびになってしまいました。永久保証のこの工具も錆は対象外とのこと、もたいないことをした、ほんと塩は恐ろしい。
コンテナの中の物は錆びることがないので、このような木造建築ではわずかなすき間から塩を含んだ砂が入り込みそれが湿気とともに錆を起こしてしまうようです。
近所の家の海側は全部目貼りしてトーチカのようになっている、そういえば「細かい海の砂がサッシの中に入り込み開け閉めが出来なくなる」と誰かが言っていた・・・・。

日曜日の夕方、地元の人が犬をつれてよく散歩に来ます。見晴し台の上から時々見る事のできる素敵な光景です(下の写真)

8月26日平和な時間
1996年に行ったコンテナ外装と風呂建築が約4年経過してこんな状態に落ち着きました。
まっさらだった檜もキシラデコールがはげてしまいこんな色に変わってきました、風呂場も杉板がいい色に変わってしっとりと落ち着いてきました。
コンテナの前に立っているのは沖縄のシーサーです、沖縄旅行した際に那覇のやむちん通りの焼物屋で見つけたものです。古い民家を取り壊す時に出てきた骨董のシーサーだということです。なかなか雰囲気のあるものなのでそのうち紹介したいと思います。
最初は左側のシーサーだけでしたが5年程して2つ目(右側)のシーサーを見つけ、やっと2つのシーサーが揃いました。 シーサーが乗っている台は海岸に流れ着いて来たものです。しかし持ってくるのは大変(特に左側)でした。
流れ着いた木の下に穴を掘ってマリンジェット用のトレーラーを差し入れやっとの事でトレーラーに乗せ、砂地用のバギーで引いて持って帰りました。
たった1人の作業で持ち帰った時の満足感はカジキ以上だった事を今でもはっきり覚えています。
1999年の見晴し台建築以降は全く作業はなく、海の家のわずかばかりの「平和な時間」を楽しんでいました。
しかし「平和な時間」も長くは続かない・・・・。2001年デッキの床材がぶかぶかし始めてきた、早くも木が腐り出したのです。

9月1日シーサー
たしか左ののシーサ−が1993年、右が1998年に見つけたものです。
現代作家のシーサ−を見ているうちに偶然見つけたもので、このような骨董のシーサ−があるとは知らなかったのでちょっと驚きましたが徐々に引き込まれ、最後は「これしかない!」と購入を決めたものです。
このようなシーサ−は屋根職人が余った瓦と漆喰を使って作ったものなのだそうです。いくつかあった骨董のシーサ−の中には「あんたそれで魔よけが務まるんかいな〜」と言いたい間の抜けた顔をしたものもあり、屋根職人のセンスで出来が決まるようです。

シーサーのことは下記のホームページに詳しく出ています。http://www.big.or.jp/~ishigaki/taketomi/sisa/expedition3.html

10年間泥棒に入られていないのはひょっとしてシーサーの魔よけのおかげ・・・・・・まさか番犬盗んでいくような人いないよな〜・・・・・

10月15日2002年デッキの補修工事
デッキを最初に張ったのはたしか95年でしたから、7年たらずで腐ってしまったことになります。、特にネタ(床の土台)の部分がひどく腐っているのが分かります。
檜とヒバが腐りに強いということでそれを使ってデッキを作ったのですが結果はご覧のように惨澹たるものです。「塩が効いてるで木は腐らん!」はほんとじゃなかったみたい。
デッキは右下の写真にあるようにコーススレッド(タッピングビス)を使ったのですがそれが腐食して切れてデッキがぶかつきはじめたのです。
このコーススレッドは原形をとどめていますが腐食の激しいものはインパクトドライバーで抜く時に折れてしまいたいへん苦労しました。
しかし、デッキは比較的簡単にすんだのですが、困ったのは食堂の床のやり替えでした。まさか、こんなことになるなどと夢にも思わなかったので、すでにあったデッキの上に次々ボルト締で食堂を組み立てていったので土台の交換など不可能な造りになっていました。
ネタが全部上に抜かないと取れない構造になっているのに、上には食堂が建っている・・・・ホントまいった。

檜は腐リにくいと言われて使用しましたが間伐材では全然駄目だと言う事が分かった事と、クレオソートの防腐剤が塗ってあるところはほとんど腐っていない事が分かったのが今回の収穫・・・・・と負け惜しみを言うことにします。

10月21日食堂の床の張り替え
相当苦労するだろうと、覚悟を決めて食堂の床に取り掛かった時の様子です。
どうです、食堂の中のものを全部外に出し「さあやるぞ!」と気迫に満ち溢れた写真だと思いませんか。
とにかく、間伐材の檜はだめなことが分かったので、ネタもヒバの角材を使用する事になりました。今度は頼んだ材木屋がよかったのか、きれいにそろった材料を持って来てくれました、値段が余り変わらないのに今度の方が断然品質がいいのです。
手前に盛ってあるのは砕石と砂です。砕石は食堂の床の下にひいてその上にセメントを張り床下の水はけをよくするために用意したものです。
とにかく今回の一番の問題はセメントです、セメント練りは大変辛い作業ですし、今度は量もすごく多い、なにより作業したい時はいつも生コン屋さんの休みと重なってしまう・・・・・迷った末、遂にセメント撹拌機(下の写真中央部ビニールに包んである機械)を買う事になってしまった。
「こんな物まで買ったの?」と言われて、さすがに最初は恥ずかしい思いをしましたが、作業が進むにつれこの機械のあまりの凄さに誰もそんな事を言う人は出なくなったのです。みんな作業が終わった時ちょっとした左官やさんになっていた。
そしてキシラデコールとクレオソートの防腐剤を十分用意して「今度こそ10年持たせるぞ!」と張り切って作業が始まったのです。

11月14日床の張り替え
上の写真のように横に通した柱(ネタ)の上に、堂々と食堂が乗ってしまっているのです、腐ったネタを交換するには一度建物全体を上に宙吊りにしないと交換は不可能です。「やってやれないことは無い」と一度は考えましたが、連続した作業は日程的に無理なので、しかたなしに、一本一本交換していく方法をとることになりました。
食堂の床材を剥がしてみると、屋根の下と外のデッキでは腐りかたが全く違うのです。 もちろん、外のデッキのほうが腐りが激しい。防腐剤をすれば若干もちはいいだろうが、次回は外のデッキだけを交換できるようにしておかないと、今回の二の舞いになってしまう。
考えた末、食堂の床のネタとデッキのネタを別々入れることにした(下の写真)。そしてネタは上に抜くのではなく、横から差し入れボルトで下の基礎とつなぐことにした。
こうしておけば、もしもの時は食堂の端の床材を数枚はずせば、デッキの腐ったネタを外し新たなネタに代えることができる・・・・・・ウムム・・グットアイデア。
しかし床材の撤去は結構大変だった、コーススレッド(目ネジ)が抜けなくなっているものが時々あるのと、ご丁寧なことに要所要所をシリコンのコーキング剤で止めてしまってあるからです。
自分でやったことに「誰だ!こんな作業をしたのは」と出るのはグチばかりでした。

11月18日飲んだワイン
飲んだワインのボトルを捨てるのがめんどくさくて、コンテナの横に立てていたら、ある時、恐ろしい数になってしまった。200本はゆうに超えていたんじゃないだろうか。
いまさらすてるわけにもいかず、食堂の床の下に埋葬してやることになりました。
床下にワインの空き瓶をきれいに並べたところを記念撮影したものです。
毎日ここで暮らしているわけではないし、たまの週末に来て飲んだだけにしてはよく飲んだものだ。もちろん私1人で飲んだわけではないが、ゲストが多い時は一度に10本以上飲んでしまったこともあったのでまあしょうがないか・・・・・。

11月24日食堂床下工事
床下にワインの空き瓶を並べたのはいいが、凄いボリュウムになってしまった。このままセメントを流してしまうと床下のクリアランスが十分取れないし、セメントの強度も心配だということで、全て割ってしまうことなりました。
足を怪我しないように圧底の長靴を履いて、ハンマーで一つ一つ割っていくのです。
ボン、ボンと気持ちいい音をたてて割れていく、あまり気持ち良く割れるので夢中になり一気にやってしまった。頭の中が空っぽになって、最高のストレス解除になったのです。
床下のもう片一方は砕石をいれワイン側と高さをそろえ、排水のいいように勾配ををつけいよいよセメントを打つことになりました。
セメント撹拌機をを買ったのでセメント練りは随分楽になったのですが、練りあがったセメントを所定の場所に持っていくのが大変です。
考えた末、外でセメントを練って練終わったら、セメント撹拌機ごと足場の上をころがしていって、所定の位置でサイドの口からセメントを出す、出し終わったらそのままバックして新しいセメントを練るという方法をとることになりました。
練り係はただひたすらにセメントを練り、運ぶ。床下に潜りこんだ人(私)はセメントコテを持ってただひたすらにセメントを塗り付けていくのです。
反対側にセメントを流すときは反対側に足場を作り直して撹拌機を転がしていくことになります。
セメント撹拌機も最初は50Kg位と上品にやっていましたが、慣れてくると100Kg位を一緒に練ってしまうので移動するのが大変です、一寸の段差につっかえて動かなくなってしまうからです。こんなことを恐らく20回以上繰り返したのではないでしょうか。

12月9日改修工事終了
1996年の5月に建てたユニットバスはトイレも風呂も狭いことが原因だったのでしょう、誰も使ってくれないのです。
お風呂は広い方が気持ちいいし、トイレもシャワートイレじゃないと駄目だということのようです。
今度のデッキ張り替え工事のおりに、ユニットバス・トイレは壊して最新式のシャワートイレにすることになりました(写真右)。
今度は窓もつけて明るいトイレにしました。ガラス職人がガラスの取り付けにきて「ほんとに透明ガラスでええの」と心配顔。「普通はトイレはすりガラス!、だって中覗かれるでしょう」。「外の景色見てトイレしたい」。「?・・・・・」ガラス職人。
このトイレは、食堂で飲んでる人がふらふらと行くには近くて好都合、皆さん結構気にいってくれています。よほどべろべろになってもここならたどり着ける。
外見は大きく変わっていないのですが、ほぼ改修工事を終えた食堂と海の様子です(下の写真)。いつのまにか夏になり海の家が一番気持ちいい季節になっていました。
11月から始まった作業は、年を超え8月までほぼ10ヶ月かかったことになります。
時は2002年8月のことになります。

12月20日もうハワイはいらない
2002年の12月に、超割のチケットを手に入れて宮崎県に行ってきました。ヤシの木を探しに行ったのです。前々から、いつかはここにヤシの木を植えてやろうと考えていたこともあり、インターネットで見つけた宮崎県の「ヤシ類・亜熱帯樹専門の生産販売会社」が妙に気になっていたからです。
空港まで迎えにきてくれたご主人の車で案内された農場は4万坪・・・・・日南海岸に面した小高い山が全部・・・・・・。
ものすごい数のヤシが植わっている、15メートルを超えているものも沢山ある、ご主人が「どれでもいいのを選んで下さい!」と言われるが、目移りして全然決められない。
事前のチェックでワシントニアヤシか女王ヤシのどちらかにすると決めていたので、まず両者を見比べることにしました。 ハワイにあるココナッツヤシにできるだけ似ているが選択基準になりました。
愛知県で見るワシントニアはなんか「シュロ」みたいで格好悪いけれど、ここの背の高いワシントニアは迫力満点でヤシの木の風格を十分備えていました。ウムムどちらもいい・・・・・。
迷いに迷いましたが、私が選んだのは「女王ヤシ」この写真に写っているヤシです。
この女王ヤシはまだ三重県での実績がない「ひょっとして冬がこせないのでは?」と不安がよぎる、しかしご主人の「たぶん大丈夫」で決断。3本を予約することになりました。
当然春にならなければ植えることができないので翌年の5月に植樹する約束をしてこの日は帰ってきました。
2003年の4月30日待望のヤシの木がトラックからはみ出して地面をこするようにして届きました、半田から連れて行った植木屋さんが一人で2日かかって植樹したのがこの写真です。ハワイアンを聞きながら・・・・最高!。

株式会社 洋香園 http://www.h2.dion.ne.jp/~yokoen/

12月23日今年のお盆休み
今年のお盆は珍しく長男の大学時代の友達が海の家に集まりました。みなさん歯学部卒後4年〜5年目を迎えこんな時にしか休みが会わなくなってきているようです。
学生時代や卒直後はむさ苦しい男同士が多かったのですが、さすがに最近はペアーらしきものが増えてきました。
若い人たちの中に一人年寄りが入っているのはいかにも不釣り合いだし、みっともない!、分かっちゃいるけど外は強い風と雨、どこへも行けないししょうがないもんね。
それにしても、今年のお盆休みの天気はひどかった。8/14日は夕方から、15、16、17日は一日中強い風と雨の連続でした。おかげで釣りは全く駄目、海の家でブラブラすることに。
こうなると、大勢のゲストも自分自身も食べることしかやることがなくなってしまう。 「しや〜ない、いっちょう飯でも作るか!」と私が発奮して作った料理です。
このあと、この上品なゲストたちは全員立ち上がってこの料理をあっという間にかたずけてくれたのです。
こんな事を3日ほど続け、この年のお盆休みは、ず〜と食事ばかり作っていた。
でも不思議といやじゃない・・・・・しかしほんと、悲しいほどのサービス精神・・・・・・・・・・・。

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