
| 5月27日 | 海の家1 |
![]() | 海の近くに家が欲しい。それも大平洋に面した所に建てたいという夢を長い間暖めていました。1993年それをいよいよ実行することになりました。 最初は建築家に頼んで設計してもらうつもりでしたが、出来上った案は一流企業の保養所のような建物でした。「バラックのようなボロボロの別荘が欲しい」という私の要求とは最後まで合入れることはなく、けっきょく決別することに・・・・・ 第一そんな何千万もする建物は建てられない、とにかく安く建てたい、それが海の家の出発点でした。 中古のコンテナを買ってきて積み上げればそれだけで家になる、それでいこうということで最初にできたのがこの家(?)です。 中古のコンテナが一個20万円で買えることがことがわかり、「2階建てが40万円で建つ!ギャハハ」と喜んだのはつかの間。 コンテナ2個運ぶのにトラック代が50万円も掛かってしまった。 自分でやるつもりだったが、相談した建築業者が「トイレは要らんの?」、「ここらは台風えらい風、基礎なかったら飛んでくに!」、「出入りのドアーと窓どうすんの」 最初の勢いはどこえやら、私「・・・・・・・・・・」 |
| 5月30日 | 海の家2 |
![]() | しょうがないので、基礎と浄化槽そしてコンテナの積み上げをプロにたのみ、2階部分のドアと窓もお願いすることにした。
内装はボチボチやることにして、とりあえず2階部分のステップを自分で作ることにしました。 大工道具の関係から寸法だけ取っていって自宅の車庫で作ることになり、材木屋に行って「一番腐らない木は何だ?」と聞いたら「ヒバの木」だとのこと、さっそく取り寄せて、車庫での夜の作業が始まりました。 組み立ての作業はすべてボルトとナット絞めで強度と安全性には万全を尽くしました。 1週間ほどで組み上がったのだけれど、重くて人力では車庫から出せない。しかたなく一旦ばらして、レンタカー屋さんにいってユニック(クレーン)付のトラックを借りてきて運ぶことになりました。 そしてユニックで吊りながら現地で組み立てたものが写真のステップです。とにかく用心が悪いと考え、ラダー(赤いはしご)を使って上がり、潜水艦のハッチを開けるように蓋を開けステップの上に出る、蓋に鍵をかけるともう下からは上がれない、「ア〜アア〜俺は海のターザンだ!」の気分。 バスケットのゴールも自分一人で立てたのでセメントが固まるまでに風で傾いてしまった。 1993年、折しもバルセロナオリンピック大会のアメリカバスケットボールのドリームチーム(NBA)の影響で子供たちにバスケが大フィーバ。 近所の人の話では日曜日たくさんの子供が集まってここでバスケットボールの大草試合が始まるとのこと。 「こら〜ここはおれの家だぞ!」と怒鳴りたかったけれど、一度も子供たちとダブったことがない、恐るべきガキども・・・・・。 |
| 6月2日 | 海の家3 |
![]() | 1993年、コンテナは建てたけどこのままではホゲーとしない、少し木でも植えてこの砂漠のような景色を変えたいと思うようになりました。 1994年に木を植えたのですが、1995年の写真で分かるように海沿いの木はほぼ全滅になってしまいました。海からの潮でやられてしまうのです。 この後1995年にも木を植えたのですが半分くらいが叉やられてしまいました。 植物図鑑で潮風に強い木を選んだのでしたが、机上の空論のようでした。 1995年せっかく海の家に来たなら外で食事がしたいということで、デッキをつくりました。近所の人が素見しに来て「先生、この上で踊りでもするんかいな」 その時にシャワー室を壊してしまったので暫く風呂のない生活になってしまった。 しかし、さすがに不便。ボイラーはあったのでドラム缶を買ってきてそれを風呂がわりにした。完全な露天風呂・・・・これがなかなか快適なんです。 最初の頃の海の家で一番思い出になったのは「ドラム缶風呂!」なんてその後何人かに言われました。 |
| 6月3日 | コンテナの屋根 |
![]() | コンテナを積み上げて何とか住めるようにはなったのですが、エアコンが効かない。 真夏はコンテナの外側が触れない程熱くなってしまいます。時々コンテナ全体に水をまいて冷却しないととても日中はいられない状態なのです。 それでも、夕方陽が落ちるとクーラーが効きはじめ、やっと世間並みの生活ができるようになります。 しかし、まいったのは冬です。12月、近くまで歯科医師会の懇親旅行できていたので、そっと宿を抜け出し一人でここに泊まったのです。 夜中あまりの寒さに眼が覚めました、酔っぱらって「てっきり外で寝てしまった」と思ったのです、しかし居るじゃありませんかコンテナの中に。 コンテナの天井はこの1枚のアルミ板だけなのです。エアコンの暖房は何の役にもたたず、朝までブルブル震えて過ごしたのです。 こりや〜あまりけちっていると、身のためにならんな〜と考えるようになりました。 これがきっかけとなって、外装と屋根葺きをプロに頼むことになりました。 本当のことを言うともう一つの動機があるのです、それは皆さんからの暖かい言葉でした。 何度、海の家の場所を説明しても、皆さん通り過ぎてしまうのです。 「てっきり、倉庫だと思ったので!」・・・・・・クソー。 |
| 6月4日 | 倉庫だなんて言わせない! |
![]() | 1996年2月からコンテナの外装工事が始まりました。外装をアルミにするか木にするかちょっと迷いましたが、木でやることに決定、ほぼ出来上った状態がこの写真です。 この頃は、記録を残しておくという意識が全くなかったためこんな写真しかありませんが雰囲気は分かっていただけるでしょう。 さすがプロ見事なものです、現場監督が板張りのレベルを出すのに大変苦労したそうです。それと海からの風がとにかく寒くて「固まってくるに」と話していました。 コンテナと外装の間に断熱材を入れたことで、エアコンの効きが抜群に良くなりました。 艇庫に使っていた1階部分もドアと窓をつけてもらい、自分たちで内装をしながら部屋に改造することになりました。 右隅にちょっと写っている材木の山を見て下さい。5月の連休が風呂建築の「地獄の労働」になっていくのです。 |
| 6月5日 | 地獄の労働 |
![]() | 今までの欲求不満(自分で出来ない)があるので今度こそ自分たちでと、いよいよお風呂の建築が始まりました。 簡単な図面を基に角材の切り出しとフレームのボルト締がすんだところが上の写真です(たしか3日目の様子です)、3階木造建築仕様の引寄せ金具にボルト締めなど工夫を重ねました。 屋根の3角の部分のフレームの角度と寸法を出すのにサイン、コサイン、タンジェントを駆使しました。しかし切った角材を合わせると狂っている、何度かやったけれどうまくいかない、「そうだ!、数学満足に勉強しなかった」と気が付き、現場合わせで作製することに。 コンクリートの床の上に図面を書き、その上に角材をのせて角度と寸法を鉛筆で記入そして電ノコで切断・・・・・・・・・・・今度はどんぴしゃり。 同時にホテル経営主の患者さんから部屋の改造であまったユニットバスをもらい設置し外装を木で囲む。 素見しに来た現場監督から「こんな色塗ったトイレ見たことありませんわ」と言われる。 これで一気にトイレとお風呂が2つずつ・・・・・・・・・・・リッチ!! しかし、手伝ってくれる人たちが徐々に離脱し始めました、「夜明けから、日没まで」の重労働に耐えられなくなってきたのです。 |
| 6月10日 | 1999年コンテナの中 |
![]() | 1999年のコンテナの中の様子です。ベッドはもちろん寝具などといった洒落たものはありません。 ホームセンターで買ってきた寝袋(980円〜3500円まで)が15枚程置いてあるので、眠くなった人はそれを1枚ずつもって適当な場所で寝ることになります。 2階の細長いコンテナに川の字になって寝ると10人以上が寝られます。奥の人はトイレに行く時に寝ている人を踏まないように行かなければならないので大変です。 今まで29人が同時に泊まったことがあります、今までの新記録、さすがにこの時は部屋から溢れた人がいて、車の中で寝た人もいました。 私も溢れて外のデッキで寝てしまいました、朝起きてから「顔に付いた木の模様」が暫くとれなかった・・・・・ |
| 6月18日 | 快適お風呂 |
![]() | 浴槽の大きさはかなり大きく、満たすのに1時間近くかかります。しかしそれだけに入った時の開放感はかなりのものです。
ブラインドを開ければ外の海がみえる、遠くのイカ釣りの漁り火が見えこともあります
、だけどすぐ下にはサイクリング道路が走っている、たぶんしっかり見られた人がいるだろうと思っています。 ところが時間の経過とともに木が乾いて外装にすき間が空いてきたのです。ある時外から眺めていたら、お風呂が針千本みたいに外に向かって放射線状に光を放っているのです、・・・・・・・・実にかっこよかった。 しかし、女性陣が嫌がりましたすき間から見られてしまうのではないかといった恐怖心を抱いたからです・・・・・・・・・・・・・別にいいのに・・・。 そのために補修工事をしました、5cm幅の木を外装のすき間に貼っていきました、すき間の残ったところは高さから大丈夫だと判断したところです。 お風呂にも単独にCDプレーヤーが設置してあります、お風呂に入りながら美空ひばりやちあきなおみを聞く、最高!。 |
| 6月18日 | ここに食堂・・・ |
![]() | 1997年12月の様子です。4月に植えた夏ミカン、コブシは全滅でした、潮風には絶対強いと言われた風よけの椿もかなりダメージを受けています。ここは潮風ではなく潮がふってくるところのようです、そんななかでも少しずつ育ってきている木があるのは驚きです。 ここで夏ミカンをちぎって食べる・・・・夢だったのに。 1996年の地獄の労働で懲りているはずだのに、1年経ったら「ここに屋根付きの食堂が在った気持ちいいだろうな〜」と恐ろしいことを考えるようになりました。 「地獄の労働」の記憶はそろそろ薄れたはず・・・「日当を払う」「美味しい物を喰わせる」の2つがあればついてくるだろうとタカをくくった。 しかし、皆忘れていなかった、工程の三分の一は1人でやらなければならない食堂建築「死の労働」が1998年7月から始ることになるのです。 |
| 6月20日 | 食堂建築1 |
![]() | いよいよ、食堂の建築が始ったのですが、写真の記録が全く無いのです。「夜明けから日没まで」の強制労働で全くそんな余裕がなかったからです。 そうしたら、1人だけ写真を撮ってくれていた人がいました。電気工事をお願いしていた半田の電気屋さんです、この写真はその人からいただいたものです。 1995年に作ったデッキとルーフ(上の写真)はそのまま使用して作りはじめた様子がわかります、下の写真の柱の色が古いところが前のものを使用したところです。 この時デッキを写真の左側に3mほどのばして食堂を建築し右側のオープンスペースをできるだけ確保しようとした記憶があります。 例によって手描きの簡単な図面をたよりに、ほとんどが現場あわせでつくってきたわけですが、今回はいくつかのアルミサッシや大形のドア−などがあり、風呂建築よりいくらか工夫が必要になったところがありました。 とにかく、1人での作業は効率が悪い、屋根に上がって板を打ち付けようとしたら寸法を間違えた、下へおりて寸法を直して上へ上がり、さ〜打ち付けようとするとコンセントが抜けている、又下へ降りる、そんなことの繰り返しでした。 しかし、真夏の炎天下の作業は辛かった、頭の中が「ウニ」になる、そんな感じでした。時に、余りの熱さに工具だけ置いてそのまま海の中にふらふらと入っていくのです。 そして身体からジューと音が出た夢遊病者はしばらく死んだように海に浮いているのであります。 |
| 6月22日 | 5880km・・・・・ |
![]() | 私の自宅は半田市にあります(赤い四角)、そして海の家は三重県甲賀にあります(青い四角)、両者の距離は片道210kmあります。 食堂建築にかかった日数は22日間でしたが、まとまって作業ができた時もありましたから、実際には14往復しただけですみました。 食堂建築のために移動した距離は420km×14=5880kmになります、夢中でしたから気になりませんでしたが、よく走ったものです。 1998年の7月と8月の休みはほぼ全て食堂建築のために費やしました(赤丸)、歯科医師会の役員をやっていなかった時なのでこれが可能だったわけで、今ではとても考えられないことです。 たとえば、7月の4日(土曜日)は仕事がPM5時半頃に終わるとすぐ車で出かけます、約2時間ちょっとかかりますので、順調にいってもPM8〜PM8時半くらいになってしまいます。この日は翌日にそなえて早く寝るようにするのですが、興奮して寝つけないことが多いのです。 翌日はAM5時には起き出して作業を始めます、昼は切りのいいところまで作業して外食に出ます、帰ってくるとすぐ作業を開始して5時くらいまでに作業を終えるのですが、道具類のかたずけに1時間以上かかりますので終わるのはだいたい6時頃になってしまいます。それからシャワーに入って車で210km走って自宅に帰るのです。 作業が長引いた時は、疲労困ぱいでへたり込んでしまうことがたびたびありました。その時は泊まってしまい月曜日の朝5時に海の家を出ます、自宅に7時過ぎ(まだ寝ている・・・)に着きますので、それからシャワーと食事をとって仕事に出かけていくのです。 |
| 7月8日 | 食堂建築2 |
![]() | 工程の三分の二が終わった食堂です。正面の大きなドア−は上に向けて開きます、そしてまだ組み上がっていませんが右に写っている支柱にドア−をロックすると、食堂とオープンデッキが一体化した気持ちのよい空間ができるという具合です。 従業員、息子の友だち、バスケットの仲間、娘、義理の弟、妹の子供・・・・いろいろ手を尽くして連れてくるのですが、「死の労働」のおかげで結局レギュラーになる人は現れず、1人で作業することもたびたびでした。しかしここまでくると1人の作業も俄然効率的になります、作業が平面的な動きですむためです。 大きな窓は10mmの強化ガラスのはめ殺しにしました、台風のときには海岸から石が吹き上がってくるのだそうです。 形が出来上ってくると、「恐ろしいところに建物立て始めた」と近所の人たちが真剣に心配し始めました。 この作業中ほんとに台風が来てしまったのです、親しくなった近所のおじさんが心配して時々見に行ってくれます、そして診療室に電話をしてくれるのです、「今立っとれんぐらいの強い風が吹いとる」、「いまし(今)屋根に張ってある瓦がピレピレして時々ちぎれて飛んでくに! |
| 7月8日 | 食堂建築3 |
![]() | 出来上った食堂の内部の写真です。皆でよってたかって料理したり食べたりできるようにレイアウトを考えました。 2人のむさ苦しい男が料理しているのはアイランドキッチンですバーナーは3つあり、本格的なオーブンもついておりなかなかのものです。 この中には7〜8人しか快適にいられませんが、大きなドア−を開けると外のデッキと一体となり15人前後までは快適に食事ができます。 しかし道具はそろっていますが、まともな料理などできるはずもなく、素材をそのまま活かした料理に徹することにしています。 幸い魚介類は特上のものが市場の半額くらいで手に入るのでそれを使った料理になります。 下手に手をかけると不味くなってしまうことが多いので、男の料理としてはかえって好都合かな・・・・・ちょっと寂しいけれど。 ふだん家で料理などしたことのない男どもが、ここでは不思議とよく動きます、飲みながらでも誰かが何かをしている。リピーターの中には料理の腕をあげてくるやつも出てくるようになりました。 「動物は食べるために生きてる」そんな実感が湧いてくる食堂になるといいな〜 ブッシュマン:お金ないから働かない、働かないからストレスない・・・・ |
| 7月11日 | アイランドキッチン |
![]() | オーブン付きバーナーが4割り引きで買えたのはいいのですが、100キロを超える重量が有ることが分かりました。 これをそのまま木の床にのせれば床が抜ける、レンガの重さもプラスしなければなりません。 この下だけはコンクリートの基礎をやることに決定しました。ホームセンターに行ってセメントを買ってきてやり始めたのはいいのですが、わずか1m50cm平方、深さ50cmの空間がなかなか埋まらない、何度もホームセンターを往復することに。 しかし、セメントを練るのは重労働、「そうだ!海に転がっている石を詰めればいい」と思い付き一輪車で石を拾いに海へ、これがまた辛い。 おりしも8月夏真っ盛り、ふらふらと海に入り込み死人のように海に浮いていることになるのです。 やっとの思いでコンクリート打を終えたら、例の現場監督が素見しに来て。「これ自分で練ったん!」ほらーえらいは。やおらメジャーを出して計測「生コン屋に頼めば8000円」・・・・・・・・・なにもそこまで言わなくても。 先日あるところから図面が出てきた、レンガの個数を出すのに書いた覚えはあったのですが、改めて見てみて「へ〜こんなことをしていたんだ!」懐かしく思い出しました。 右隅に値段(4万)まで書いてあるのは笑っちゃいました。 図面のおかげでどんぴしゃりと出来上ったと言いたいのですが。出来上がりの時なぜかかなりの数のレンガがあまってしまった・・・・・・・・・・・・・・変だな?。 |
| 7月12日 | バーも作った |
![]() | 食堂は結局全く図面を書くこと無く出来上ってしまいました。「ここに柱を1本増やそーっと」「ここにも1本増やした方が・・・・」とやっているうちに出来上ってしまったからです。 しかし、アイランドキッチンのレンガ積みあたりから設計図らしきものを書かないと材料の調達が出来なくなってきました。 アイランドキッチンの図面と一緒にバーコーナーの図面もでてきたので紹介します。 夏の熱さに当たったのでしょう、懲りずに食堂と一緒にコンテナの1階にバーも造っていたのです。 この頃になると定規をつかって簡単な図面を書くようになりました、ちょっとややこしくなると図面がないと結局うまくいかないことを学習してきたからです。 それにここはよく目に着くところなので、さすがに好きなバラック仕様というわけにはいかず、図面を書いて仕上がりのきれいなものにしたいと見栄をはった!。 背もたれが斜になっているところの角度調整が大変でした、なんせ奥の両コーナーは斜と斜がぶつかるので角度が出せないのです、図面ではどうしても角度が出せないため、またまた得意の原物合わせでなんとか格好をつけた。 ここで一日中ぐだぐだ酒を飲んでいたら楽しいだろう〜と考えてバーを造ったのだけれど、どーもイメジーが違うんです。 すぐ、お酒を持って食堂か外に出てしまうのです。海の家に行った時ぐらい開放感に包まれてお酒が飲みたいと感性が受つけてくれないようなのです。 「スナックで飲んでいるようで楽しい」と喜んだのは子供たちだけでした・・・・・・ウーン寂しい。 |