企画の趣旨

浄土真宗本願寺派の大谷瑞法主が西本願寺西域探検を開始したのが1908年でその時随行者のひとり、橘瑞超はその時わずか18歳。輝かしい楼蘭探検を中心とした西域地区の探査は大谷探検隊の名声を世界に広めたのである。当時は西域新疆やチベットを舞台に多くの著名な探検家がこの地域に入ったが、スウェーデンのヘディン博士や英国のスタイン博士などに劣らぬ成果を挙げたのが、わが日本の大谷探検隊であり橘瑞超師である。

橘瑞超師が「李柏文書」など世界に冠たる成果をもたらした1909年の楼蘭発掘の翌年に再度旅した、吐魯番(トルファン)からクルク・ダーク山を超えて楼蘭王国の仏塔に至る艱難辛苦のルートを西燉とそのグループはかねてより当時の旅と同じく米蘭(ミーラン)あるいは若羌(チャリクリク)まで冬期に再現し、忠実に辿り、師の探検を偲びたいと願ってきた。つまり、今世紀最後の探検として、その橘瑞超の業績を讃え、大谷探検隊の軌跡と成果をあらためて世に問いたいと計画したのである。特に、旅の形態は橘師が約90年前に踏査したラクダ隊を再現する。幸いにこの地域及び楼蘭に関する経験は、グループ・大地を歩く会は十数度あり、砂漠の困難な旅には十分な経験があると自負しているからである。

時あたか1998年は大谷光瑞師(鏡如上人)の遷化50年目、また橘師が往生されてから30周年に当たる。さらに、西本願寺ではこの年は蓮如上人500回忌の御生忌報恩講などの『98’蓮如上人ビッグフェスタ500』などの大行事が開かれるという。

「大地の会」(小倉眞市会長・本部奈良)が、「楼蘭倶楽部」(小倉眞市代表)と共催で、2000年の3月28日に(『楼蘭の日』)、楼蘭仏塔の下に東西南北から4パーティが合流する、『楼蘭発見(ヘディン)100年祭』を共催実施する計画があるが、グループ・大地を歩く会はそれに参加する予定で、本計画はその調査隊を兼ねる。